【大江健三郎さんへの手紙】月刊正論11月号掲載論文 予告特集<後編>

明日発売の『月刊正論』11月号に掲載されます”日本虚人列伝シリーズ第2回 大江健三郎――装はれた難解さ 隠された乏しさ”について、著者本人のFacebookコメントを振り返りながら、どういった経緯でこの「手紙」が執筆されたのかをご紹介する企画の<後編>です(前編はこちら)。大江氏の作品を「虚心に読む」と朝から宣言したかと思ったら、夕方にはぐったりし、そののち昭和文壇の空気に触れて切なくなってしまった前編に続き、後編では一体どんな展開があるのでしょうか。週末に締切を控えた水曜日の投稿からご紹介します。

●9月14日午前11時49分
大江論ほぼ脱稿した。総合雑誌への寄稿だから丁寧な文学の検討ではないが、本質的な大江論にはなつてゐるのではないか。氏についての詳細な批評を書く為に氏の小説をたくさん読むのは私には辛い。場合によつて石原文学と大江文学――どちらが本当に「政治的」なのかといふテーマは書いてもいいと思つてゐるが、それも可能かどうか……。

(スタッフ:石原氏と大江氏は以前とても仲が良かったことを、今知っている人はどれぐらい居るでしょうか。現在は大江氏の側からお付き合い拒否中なのだそうです。)

●9月16日午後6時56分
大江氏の『セヴンティーン』を今度の仕事では論じた。これは山口二矢による浅沼事件を元にした作品だ。が、同じ事件について沢木耕太郎氏の『テロルの決算』が大変な傑作なのに比し、どうにも筋が悪い作品。沢木さんの仕事には山口、浅沼両者への強い愛情がある。どうしても言葉にしたいといふ強い衝動が、冷静な筆から溢れ、政治的左右を越えて事件の全人間劇に打ちのめされる。『セヴンティーン』には、山口への愛も憎悪もない。もつと硬直した嫌なものがある。詳しくは来月号での拙論で。

(スタッフ:詳しく知るとのけぞってしまいますよ。そんな山口像どこからどう創作したのだと小一時間以上問い詰めたくなること間違いなしです。)

●9月18日午前7時55分
大江健三郎論のゲラ修正を終へた。
書き出しを川端の有名な小説冒頭に擬した。私としては大江文学についてはもう一つ主要著作に関する評論を書いておきたい。今回のは本質論ではあるが、主要著作の周到な読みではないから。石原文学と大江文学といふ主題にも取り組むつもりだ。
これから保田論に集中する。午前に初稿を上げたら、続日本紀、山本健吉の『大伴家持』、中西進氏の注釈の参照に入る予定。
世阿弥の集中読書にも早く入らないと次の対談に間に合はない(笑)

(スタッフ:大江氏と、保田與重郎、家持、世阿弥…凄い振れ幅ですよね。その幅がありながら、大江氏については更なる論点を見出したようです。石原文学については、10月2日付け産経新聞に、小川榮太郎による最新刊の書評が掲載されます。この二つが重なったのは全くの偶然でして、そういったタイミングも次の着眼の助けになったのではないでしょうか。不思議な巡り合わせですね。持ってますね。)

<番外編>
●9月13日午前11時11分
心の中の対話。
えーたろ「結局娯楽小説も読まず、音楽も聞かず、大江論を18枚まで仕上げたよ」
小川「おーでかしたでかした。褒めてつかわす」
えーたろ「燃え尽きたよ」
小川「そーであろう、そーであろう。褒めてつかわす」
えーたろ「だって大江さんはこんな文章を書くんだよ。僕疲れちゃった。「愛国者諸君、あの赤色暴漢どもは、恥知らず、反動と罵っているぞ! くそっ、内閣打倒?  くそっ、米帝打倒? くそっ、くそっ、軍事条約を認めない? くそっ、くそっ、会場に殴りこめ! 四千人の全学連を蹴ちらせ! くそっ、原爆ゆるすまじ? くそっ、二度とあやまちはくりかえしません?…赤のやつらを殴りつけろ!」
小川「さすがノーベル賞作家だけあるのお。褒めてつかわす」
えーたろ「褒める対象が変ってるよ…」

(スタッフ:ノーコメント)


いかがでしたでしょうか。著者が大江氏への手紙を書き上げるまでの紆余曲折を、多少なりともお伝えできましたでしょうか。『月刊正論』11月号は、明日発売です!全国の書店、インターネット等でぜひぜひご購読下さい!