讀書散策#1 『ドストエフスキー伝』 アンリ・トロワイヤ著 村上香佳子訳

後期ドストエフスキー、つまり『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、そして『カラマーゾフの兄弟』は(ダンテやミルトンの作品のように)キリスト教文藝として改めて読むようになりました。現在私は東方正教会の奉神礼に参加しており(帰正はしていませんが)、膚で感じたことがヴィヴィッドに、新しいドフトエフスキーを感じさせる方向へ進んでいます。

すると、かつて「信仰のレンズを通さずに見たドストエフスキー」はどこか掴みどころがないように思えてきます。というのは、ドストエフスキーが極めて正教会の信仰を色濃く反映した作品を仕上げており、キリスト教の素養がない方の場合にどのような普遍性を持つのか(例えばシェイクスピアのような)、かつての自分の感覚も定かではないことから、これまでの読みにはいささか自信がないのです。「大審問官」はどこまで普遍たりうるか、など。

小林秀雄、福田恆存をはじめ明治から昭和戦後までの日本の知識人の間ではキリスト教的素養が共有されていたことと思います。だからこそドストエフスキーは日本においても受容されたのだと思います。

ドストエフスキー本人は、仮に真理の外にキリストがあるなら、真理よりもキリストを信仰するというような言わば原理主義的色彩の非常に強いロシア正教徒であり、その信仰の吐露が後期ドフトエフスキーにあるように思え、キリスト教の外に出るほどの普遍性はないように思われてなりません。

これまで読んだドフトエフスキーの評伝の中で最も腑に落ちたのは、アンリ・トロワイヤ著『ドストエフスキー伝』(中公文庫)で、晩年のドストエフスキーがロシア正教とスラブ民族を崇敬するようになる反面、ごくごく平凡な野心家である面も描かれており、秀逸です。

改めてキリスト教文藝としてのドストエフスキーを再発見される方がおられましたら幸甚です。

(學藝員 岡田鉄兵)